「20年後の娘へ」ラーシュ・ラーション(38歳)ソフトエンジニア インタビュー

「タテの日本、ヨコの北欧」

公園でのインタビューを始める前、彼が娘さんと「シーソー」で一緒に遊んでいました。帰宅し、その時撮った素材を編集し、彼が話してくれたことをまとめながら、自分が育ってきた日本と今住んでいる北欧社会のことを考えていたら、このシーソーのことを思いつきました。

先生と生徒、先輩と後輩、上司と部下、男と女、政府と国民、健常者と障害者、父と子。僕は、日本で、このシーソーの上か下に座っていただけなんだと。動かそうとしてもなかなか動かない、どうせ、動かないし、考えたってしょうがないから、「お上」が決めたルールや決まりに従い、なんとなく、ただぼーっと座っていた。ところが、スウェーデンに移住し、やけにフラットなシーソーに座ることになった。上下関係が苦手で、学校や会社の人間関係が苦痛だった自分にとっては、意外というか、結構心地よい。「上」か「下」、「タテ」にしかいかないと思っていたシーソーは、「ヨコ」にもなる。住んでみて、こういう社会が、ヨーロッパの片隅に存在していることにただ驚いた。「タテの日本、ヨコの北欧」言ってしまえば、どうってことないが、どうして、今まで気づかなかったのだろう。どちらが良いということではなく、そもそも見ている方向が違っていたのだ。このシーソーをふまえて、家族や周囲との人間関係、人権やら教育、福祉のことを考えたら、なんとなく合点がいった。

インタビューでラッシュに「仕事と育児の両立」のことを聞いた時、彼は、「仕事より育児を優先させたい」と言っていたけれど、日本にいるたいていの親だって、子供と一緒にいたいと願っているだろうし、親が子供を愛する気持ちにそう変わりはないと思う。けれど、そうできない空気やシステムあるいは慣習が、そこに立ちはだかっている。ようやく日本でも働き方改革とかライフワークバランス、男女平等みたいなことが言われ始め、少しずつ日本社会というシーソーが揺いできているような気もするけど、これを北欧のように、横に振りきるには、僕らの考えや社会の基盤を根本からぶち壊すくらいの力が必要なのだと思う。当たり前のことだけど、そんな必要ないと大勢が思い、その力が社会になければ、何も変わらない。最近の日本を見ていると、上の人が次から次へと勝手に決めたルールや条例を押し付けて、つまらない奴が威張っている姿を見ていると、シーソーの角度が鋭なっている気がしてならない。

上に座っている人たちは、どう考えたって降りようとはしない。ひっぱり降ろそうものなら、ルール違反で引きずり降ろされるだけ。だったら、下に座っている人たちが、その錆びついて壊れかけたシーソーを降りるしかない。彼らが上にいるのは、僕らが、下で座っているだけだから。

そんなこと言っている僕だって、たまに娘に対して上から目線で叱ってしまうことだってある。でも、やっぱり、娘を下に座らせて、寡黙なふりして「威厳」とか言いながら、躾と称して鉄拳を食らわせたりするような抑圧的な父親にはなりたくない。たとえ、そういう環境で育ってきたとしても。そんなことしなくたって、彼のように、娘と同じ目線でコミュニケーションをとりながら、彼女の成長を見守り、大人になるまでに挨拶やマナー、教えなければいけないことを教えていけばよいのでないか、そんなことを彼の話を聴きながら、考えた。ラッシュさん、ありがとうございました。

 

-奥畑 知佳(Chika Okuhata)

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