スウェーデンの義父と、日本の父ーふたりぱぱ⑵ 

ここスウェーデンに引っ越して2年が経った。そのあいだのほとんどの時間を、夫の実家で義両親と同居している。

20代のころの僕はまさか、結婚して子どもを持ち、夫の両親と同居するなんて思ってもみなかった。

大変なことも多かったが、総じて言えば息子のためにも結果オーライではあったと思う。

ただ、最近気づいたことがある。

それは義父の子どもに対する接し方なのだが、どうも扱いに慣れていないという感じだ。

基本的に優しい人なので、常に孫である息子によく面倒も見てくれるのだが、イヤイヤ期特有のぐずりが激しくなってくると、ちょっと違ってくる。

大概この時期の子どもは、まともに「これはいいこと、あれはだめなこと」なんて理屈で説明したところでわかるわけないのに、そうやって説明しようとして、それが効かずにいらいらしてラジオのボリュームをあげたりする。

その義父の様子について夫と話をすると、意外な答えが返ってきた。

「育児は全部お母さんがやってたからね。どうしていいかわかんないんだよ。」

そうか、義両親が育児のまっただなかだったのは30年以上も前のことだ。

いくら男性の育児参加が進んだスウェーデンと言えども、この北の果ての田舎にその影響が来たのは都会に比べ遅かったのかもしれない。

でも、なんとなく僕の頭の中では『スウェーデンの男の人は昔から家事育児を手伝ってる』先入観があったのかもしれない。

そんなことを考えていたら、うちはどうだっただろう? と、自分の父親のことを思い出しはじめた。

僕の両親は、名古屋市内の小さな商店街に並ぶ小さな借家で、寝具店を営んでいた。

寝具製作技能士という国家資格を持っていた父が、昔ながらのふとんを手作りしたり、今でいうリサイクルにあたるふとんの打ち直しを、自宅兼作業場兼店舗であるその借家で行っていた。

そしてその父は、子どもが好きで、子どもをあやすのがうまかった。

社交的な母は家で家事をしながら、店番をしてお客さんの相手をしたり、帳簿をつけたりして父を支えていたが、もちろん父も店頭にでることがあった。

そして、昭和の商店街らしく、何かを買うわけでもなくても、近所のひとがおしゃべりにくるようなお店だった。

だから、近所の若いお母さんたちも子どもを連れて来てたりしていたのを覚えている。

すると父は得意の必殺技で子どもたちを楽しませたりしていたものだ。

「ワン、あ・ツー、あ・ワン・ツー・スリ~」

とリズミカルに声をかけながら、スリーのタイミングで抱っこしてた子を、ほんのちょっとだけ落とすフリをするのだ。

これは鉄板ネタで、どんな子でもケタケタ笑い、それを見て父もよく笑っていた。

数ヶ月前、初めて息子を連れて実家に帰った際は、さすがに体力が衰えたのか、その遊びはしなかったが、すぐに息子の心をつかみ、一緒に遊んでたのしそうだった。

息子がぐずったときも、「こうなったらもう仕方ない」とちょっと距離を置いたり、うまく気をそらすそのテクニックはいまだ健在だった。

うちの父はその世代のほかの父親に比べ、ずいぶんと育児に参加していたことに今更ながら気がついた。

仕事場が自宅だったことがその理由のひとつだろう。

僕の小さいころの記憶では常に父親も母親も家にいた。

夕方の配達の時間には、父が作ったふとんを自らお客さんの元へと届けにいくのだが、僕はその配達によくついていったものだ。

「あら、ぼうや。お手伝い? えらいわね」

なんて配達先のお客さんに言われると、

「エレベーターの開ボタンを押してもらうだけでも、大助かりなんですわ」

と、父は褒めてくれたし、それが嬉しくてついていった。

今これを書きながら忘れてた記憶が、一気に蘇ってくる。

パチンコ屋にいっしょに行ったり、

喫茶店に連れて行ってくれたり、

釣りに行ってくれたりして、母親と過ごす時間とはまた違うところへ連れて行ってくれるのは楽しかった。

また、寝る前に本を読んで寝かしつけてくれたのは父の方が多かった記憶がおおい。(きっと母は他の家事をすることが多かったのだろう。)

21歳のころアメリカに半年ほどステイしていたことがあるが、高熱でうなされたときに見た夢は、父と母のふとんに入って一緒に寝ていた夢だ。

当時、両親が使っていた羽根の掛け布団の柄やシーツ、ぬくもり、その父の匂いまでもが鮮烈に再現された夢だった。(今思えばおじさん特有のものなのだが笑)

その夢から冷めたときには、熱はすっかり引いていた。

少し話はそれるが、僕らゲイパパがよく聞かれる質問がある。

「男だけで育児やっていくの不安じゃなかった?」

その質問は、僕らがゲイだからという意味合いよりも、『男は育児が苦手』だとか、『育児は女性の守備範囲』という先入観が含まれているようだった。

そういうとき、その部分については不安はなかったと答えてきた。

仕事がら裁縫やミシンが得意で、学校に持っていく雑巾や手提げ袋は父の手作りだったし、釣り好きが生じて魚料理となると父のほうが母より得意。

ましてや子どもの相手も得意。

僕は昔から料理が好きだったし、クッキーやお菓子を焼いて人に配ったりだとかっていうことをしていたが、そういうことすると、

「女子力高い~」

みたいなことを言われがちだが、

「得手不得手や好き嫌いに性別なんてカンケーないよ」

と、常に心の中で叫んでいた。そう思って、好きなことを好きと言い続けられたのは、先述した父の存在があったおかげかもしれない。

ちなみにスウェーデンの義父。家の中での育児は苦手そうだったが、先日そとで農作業をしていたときのこと。

息子くんに、ぶっきらぼうだけれど、いろいろと畑仕事を教えてくれていたようで、息子くんもファルファル(おじいちゃん)と土いじりをするのは楽しそうだった。

このまえ日本に帰ったときの、じいちゃんと息子くんが接する姿を重ね合わせずにはいられなかった。

国や言語、得意分野や性格も違う、スウェーデンの義父と日本の父。

その息子同士が知り合い、家庭を築き、子どもを育てている。

その背景や環境がなにもかもが違っていても、子どもと接していく上で大切なものがそこにはあると思う。

まだ父親歴2年の僕には、そこに何かがあるとは思いつつも、それがなんだかまだまだわからない。

もしかしたら、笑ったり、怒ったり、泣いたり、心配したり。自分が死ぬまで探し続けるものなののかもしれない。

そのためにも、できるだけ息子くんと時間を共に過ごしていきたいと思う、

そんな父の日に今年はなりそうだ。

 

みっつん

名古屋出身。 リカ→スウェーデン出身。 東京で出会い、11年にスウェーデンの法律の下、結婚。同年、東京からロンドンへと移住。2016年サロガシー(代理母出産)により男児を授かったのを機に、リカの出身地、北スウェーデンに移住。

http://futaripapa.com/

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