北欧 A to Ö : M : Minneslund ①

minn`eslund / substantiv / ~en ~ar / minn·es|­lund·en
begravnings­plats där av­lidnas stoft grävs ner eller förvaras i urnor och där allt­så individuella gravar saknas

ミンネスルンド共性名詞スウェーデン語。個人の墓標をもたない遺灰の埋葬場所。

 

僕のPappa(父)は学生時代、山岳部とヨット部に所属していた。就職してからは山に出かけることはなくなったが、ヨットは最後まで残ったたった一つの趣味だった。ただ、当時ヨットをしなかった僕にとって、例えば、船を操ることや、自然と対峙すること、そして海の仲間と過ごすこと、の素晴らしさ、つまり彼のヨットに対する愛、はいまひとつ実感がないものだった。晩年、船上での酒を何よりの楽しみにしていたPappaが、俺が死んだら骨は海にまいてくれ、というのだが、ゆえに僕はそれが本気なのか確かめもしなかった。今ではもうそのすべはない。

スウェーデンにミンネスルンド(Minneslund)というものがある。教会墓地の一区画にある、死者の遺灰が撒かれる場所だ。墓標を持たない合祀墓である。

周囲に、そこがミンネスルンドであること、を示す案内やモニュメントがあるが、ミンネスルンドそれ自体は、刈りそろえられた芝生や、逆にあまり手の入っていない森であり、僕らは足を踏み入れることはできない。

 

 

ストックホルム、スコーグスシュルコゴーデンのミンネスルンド
© Noritake AKECHI

 

 

もしかしたら他の国にも(日本にも)そうしたものはあるかもしれない。けれど、芝生や森の姿をしたミンネスルンドは、どこかスウェーデン的だな、と思わせるところがある。

それは、死後僕らは自然に帰っていくという考え、そして、スウェーデン人にとって森が身近で特別な存在である、という素朴な組み合わせにたいして、ではない(※1)。別のある理由で、じつに理にかなっているところが、そう思わせるのだ。

というのも、ミンネスルンドの歴史は実はそれほど古くない。マルメ(Malmö)とヴェステロース(Västrås)にスウェーデン初のミンネスルンドが作られたのは1959年。たった60年前の話だ。ミンネスルンドは実は現代的なもので、当時の意図をもって設計されたもの=制度、なのだ。

スウェーデンでも戦前は個人(家族)墓による埋葬が一般的だった。しかし、スウェーデンが大々的な福祉社会を構築して行く過程で、発展していく個人主義は墓石を守ることの精神的、経済的負担に対する考え方の変化を生んだ。

今では一般的な個人(家族)墓ではなく、ミンネスルンドを選択する人は、僕が想像していたよりもはるかに多い。例えば、ストックホルムのスコーグスシュルコゴーデン(Skogskyrkogården 森の墓地。世界遺産)では葬儀者の半数がミンネスルンドを選ぶという(※2)。

 

 

世界遺産、スコーグスシュルコゴーデン。グンナル・アスプルンドとシーグルド・レヴェレンツによる共同設計
© Noritake AKECHI

 

 

ところで、もし墓を守るための負担、経済合理性の話に終始すれば、そして死後僕らは自然に帰る、ということを後ろ盾にできるならば、一番いい方法は自然散灰(教会管理外での散灰)であるはずだ。実際、スウェーデンではミンネスルンドよりも2年早い1957年自然散灰(askspridning)を認め、各県ごとに申請を受付けている。ちなみに現在およそ死亡者の2.8%(2017年は2611人)が散灰を選んでおり、急激な増加傾向にあるらしい(※3)。

2.8%という数(2017年の日本に当てはめれば約27000人だ)に驚きつつも、それでもミンネスルンドを選択する人の数には遠く及ばないのはなぜだろう、とも同時に思う。

確かに自然散灰には厳格な審査があり、相応の手間(死亡確認や散灰場所などの必要書類)がついてくる。しかし、それだけが理由ではないだろう。おそらく、僕らには場所が必要なのではないだろうか。今はもういない家族たちとの記憶をつなぎとめるための具体的な場所が、どうしても。

故人たちの依り代として、墓石は彼ら/彼女らと具体的に対面できる強固な場だけど、それは同時に遺族をもそこに縛りつける。一方、墓石を持たないことは、故人に想いを馳せることの時間、空間的な自由(夕食後キッチンで皿を洗いながら亡きPappaに語りかけること)を与えるけれど、それは同時に、忙しい日常に生きる僕らにとって(想いの強さは別として)いつでもできる、という意味ではない。

その中間にある、今はもういない家族たちとの記憶をつなぎとめるための、ゆるい場所。それがミンネスルンドであり、それが僕らの(加えて管理側の)経済的、精神的合理性を考えて設計された施設、というこの実に合理的なところに、僕はスウェーデン的なものを感じるのだ。

 

 

丘の上に続く道。右手がミンネスルンドの森
© Noritake AKECHI

 

 

とはいっても不思議なことに、実際に森の墓地を訪れ、この先の森が、合理的判断に基づいた施設だ、と知りつつもそこを歩くと、また別のことに気づかされる。合祀墓=共有であること、は合理的であろうとすることの大前提だが。そうあるからこそ強調されることがある。

それは、長く伸びた、僕らが歩く道と森との境界線だ。

実際、足を踏み入れることのできないミンネスルンドを訪れることは、ミンネスルンドを取りかこむ道=境界線をたどることに他ならない。そこには、花束、ろうそく、「愛するママへ」と彫られた石や、朽ちたぬいぐるみ、が並ぶ。境界線に立ち、こちらの世界からあちらの世界へ想いの扉を開こうとした、痕跡が延々と並ぶのだ。ミンネスルンドを訪れたときに去来する感覚は、個人墓はもとより、完全な自然葬でも、決して起きない、ここにしかないものだ。

 

 

道と森の境界は世界の境界でもある
© Noritake AKECHI

 

 

これがミンネスルンドという概念のうちにあったものなのか、スウェーデン人の特性、死生観や自然観に還元されるたぐいのもののなのか、レヴェレンツという一人の設計者によるものだったのか(または単に偶然の産物なのか)僕にはわからない。第一、合理的に物事を進めればいつでも正しい結果が得られる、とも思っていない。けれども、この国では、合理的判断によって(その本来の目的の通り)多くの人々が正しいと思う理り(ことわり)にたどり着くことが往往にしてあることをしばしば目にするのだ。

 

 

ミンネスルンドのふもと。点在するベンチの周りには一層多くのお供え物が並ぶ
丘の上まで上がらない/上がれない年老いた人々がこのベンチに腰を下ろし、遺族を想う
© Noritake AKECHI

 

 

1
ミンネスルンドはしばしば、スウェーデン人の自然観、死生観にむすびつけた説明がみられるが、もちろんそうだとしても、それはスウェーデン人特有のことには限らないと思う。魂や天国を信じる人たちでも、残された肉体がどのように形を変えていくのか、そこに思いを馳せた時、目の前の森や海、すなわち自然に「還っていく」ことにたどり着くのは特殊なケースとはいえない。

2
ミンネスルンドの開設は1961年。
現在約300.000人が埋葬されている内、ミンネスルンドは約72.000人。
葬儀数のとミンネスルンドの埋葬数(Skogskyrkogården 提供

2013年:3070人(内1616 minneslund
2014
年:2961人(内1521 minneslund
2015
年:3062人(1562 minneslund

ちなみに、遺族側が選択することもあるが、むしろ死にゆく側が残された家族の負担を考えて、自らミンネスルンドを選択する場合が多いということは言い添えておかないといけない。

3
2001年、自然散骨を選んだケースは 940人で、1.1 %(死亡者数 93752人)だったものが、 2011年、1362人、2017年は2611人。

 

 

© Noritake AKECHI

 

 

明知 憲威/ Noritake AKECHI 

明治学院大学文学部芸術学科卒業。美術史、インドネシアの影絵、現代美術を学ぶ。絵を見るのも描くのも文章を読むのも書くのも好きだが、音楽は聴くのみ。2007年渡瑞。メディアコーディネイター。スウェーデンの手仕事を日本に、日本の手仕事をスウェーデンに紹介している。

RECOMMEND